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MASA

Author:MASA
93年徳之島でデビュー、既にキャリアは23年。
02年からIRONMANに毎年参戦、Ironman World Championshipに7度出場。
IRONMANであり続けることが誇りであり、生涯の目標です。
2016年シーズンは6月のケアンズでハワイにチャレンジします。

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MASAのトライアスロン日記
10月の満月の土曜日を目指して!
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アイアンマンジャパン2005参戦記
2005年5月20日、博多港からの夜航船は、ゆっくりと福江港についた。
夜中まで残り原稿を書き上げ、ビールを何本か空けたおかげで熟睡できた。
心配していた天気はまだ大丈夫。快晴だ。
PCやら何やら仕事道具も持ってきたために荷物はかなりの重量になった。
ためらうことなくタクシーに乗って宿に。
第一ホテルの別館、交渉した部屋は通称“宴会部屋”。
35畳のところ、チームメンバーの8名しか宿泊しない特別な部屋なのである。
一人だけ先乗りしたため、ガランとした中に一人。
とりあえず外でバイクを組み上げ、早速レジストレーションに行く。

自分のエイジ枠35~39歳のDカテゴリーを確認すると、やはりハワイスロットは「6名」。
しかし、既に当確の人が5名エントリーしている。

昨年のIMジャパン、快記録でエイジチャンピオンになった佐藤貴徳選手。
昨年のハワイ、プロ含めて日本人2位に入った濱野隆弘選手。
一昨年まで2年続けてエイジチャンプだった大橋康治選手。
琵琶湖のアイアンマン以来、10年以上続けて一線で活躍する名取祥三選手。
JTUの強化指定も受けていて、ロングに転向してきた湯尻淳也選手。
サブ10を軽くたたき出し、プロさえまくってしまう彼らは別格。
要するに、残り1枠みたいなものである。

なのに、なぜか450ドルは持ってきてた。
昨年のコリアで惨敗してから、こつこつと練習してきたし、そのために来たようなものだ。
とりあえずレースでは何が起こるかわからない。
あきらめたくない。

みんなが昼過ぎに福江に着くというので港へ。
長崎からチームYの本隊が到着。
合流して宿に案内。何か自分が添乗員さんみたいだ。
急ににぎやかになり、かなり緊張が和らいだ。
やっぱり、みんなで参加するレースって楽しい。
いろいろ話をしていると、やはり話題はレース当日のことになる。心配なのは天候。
カーボパーティでも、日が落ちたら急に寒くなった。
予想では当日は雨。やはり、寒さ対策が重要になるだろう。

前日、スイムの試泳にはいかず、疲れをとるため(&酒を抜くため)ゆっくりおきた。
まだ天気はよい。
今日はバイクとバイク・ランギアを預ける慌しい日。五島の名店「うま亭」での五島牛焼肉定食を昼食に頂いた後は別々で各自の作業に。預託を全部終えてから、みなでコンカナ王国の温泉にいった。
コリアでもやったサウナと冷水の往復を3セットやって少し安心。
膝の痛み、1週間前の「韋駄天治療室」で鍼治療をしたおかげでほぼ感じなくなっていた。
体調も悪くない。
市内に戻り、早めの夕食をとる。定食を頼んだら、とてもバラエティに富むコースで本当に美味しかった。

部屋に戻り、明日の準備と最終確認。
レースのウェアは宮古島で試したライジングサンの2ピース。
ゼッケンベルトも宮古で試したが、背中の補給食を取るときに難があるため、安全ピンでとめることにした。
補給のプランも宮古で実験済み。
バイクは背中にアミノバイタルゼリーを2つ+トップテン1本。さらに、パワーボトル(アミノゼリー3つとアミノバイタル粉末1袋、カーボショッツ3本)、そしてウォーターボトル1本。
宮古で使ったジェットストリームはかなり迷ったが、使わないことにした。
ジャパンはアップダウンが続く。
飲む場所が少ないし、水をボトルに補給する手間もかかる。
ランだけスペシャルニーズを用意。ただ、パワージェルを1つとカーボショッツを1本。
補給の総カロリーは少ないが、途中にエイドもある。大丈夫だろう。

寝る前にビタミンとコエンザイムQ10の錠剤、それからちょっとアルコールを飲んで準備万端。9時前に床についた。。。が全然寝れない。宮古でもそうだった。
しかし、今回は、夜中にドラ焼き+αを飲み食いしたら(?)眠くなり、そのまま就寝できた。

3時過ぎ、目が覚め、少し外にでた。
雨は降っていない。持ちそうかな?
宿が用意してくれた朝ごはんを、みなで黙々と食べる。
その後、ウェアを着る前に、入念にディクトンを塗りこんだ。
予想では最低が15度、最高でも24度の気温。やはり、朝は寒い。
出発の服装として、ウェアの上に長袖、そしてウォームアップスーツを着て、雨傘も持って会場行きのバスに乗り込んだ。

スイムスタート会場の富江に着くと、2年前の悪夢が否応にも甦ってくる。
低水温でやられてしまい、スイムアップしたあと、震えてウェットも脱げず、さらにはバイクのトラバッグの紐さえ解けなかった。準備不足、認識不足を痛感したときだった。
今回はさすがに準備してきた。
フルウェット、キャップ2重かぶり、そして強力なホットクリームだ。いざというときのためにバイクのバッグにはアームウォーマも仕込んである。
ジョッグのウォーミングアップを終えてホットクリームを塗っていると雨が。。。
ついに降ってきた。しかも大粒の雨である。
すべての荷物を預託し、いよいよ海へ。当たり前だが、海に入れば雨など関係ない。
強気で攻めよう、と思い、みんなと別れてフローティングの最前列に進んだ。

ポラールの時計を確認。
バイクの心拍数の上限は145に抑え、ランでは153くらいのイーブンペースで走ること。
これがシンプルな今回のレースプランである。
7時の定刻、ホーンが鳴り響き、900人のスイマーが一斉にスタート。
スタートダッシュを試みたがすぐに巻き込まれ、バトルが続く。
1周目はかなり辛かった。進んでいる気がしない。
33分。
一度陸に上がってタイムを確認してがっかり。目標タイムは1時間6分くらいだったので、丁度半分なのだが、1周目は若干短いのだ。これではマズイと思い、ペースをあげた。
が、しかし結局、スイムアップは1時間13分をきる程度であった。

トラバッグを取り、更衣室でウェットを脱ぎ捨て、ヘルメットとサングラス、補給食を手にして走り出す。バイクを取ってスタートラインに行こうとすると、審判団に声を掛けられる。後ろのゼッケンが外れているというのだ。2名やってきて、安全ピンを調達してきてきちんと取り付けてくれたが、こっちは焦る。その1分、1秒が惜しいのだ。

シューズはバイクにくくりつけてある。
クイックスタートで飛び乗った。スイムのタイムはもう気にしない。
ライダーになったからには、気にすべきはフォーム、ケイデンス、ハートレートだけ。
そこに集中してコントロールしていると、周りに抜かれていく。。。が気にしない。
やっと心拍数が140台に落ちた。そこからまわりを確認。
前方にいるライダーはポツリ、ポツリという感じ。単独走行の始まりだ。

走り始めはカーブが多い。
雨のせいで路面は滑りやすく、コリマカーボンではブレーキはハッキリいって利かない。
まだリスクを負う必要もないので、きちんと減速して丁寧にコーナーリングをしていく。

30kmの手前から対面走行になり、トップ選手が前方から折り返してくる。
MONくんは快調に前方を走っていた。
30km丁度の折り返し地点に到達するまですごい数のライダー達。
100人、いやそれ以上だろうか?

考える。
この位置では話にならない。
ラン勝負では、トップエイジグルーパーにかなわない。
得意なバイクで巻き返していかねば!と、とにかく攻め続けることを決意。
せめて、自己のバイクラップ(2003年コリア;5時間38分)を更新してやろうと思い、ガリガリ踏み込み始めた。

付け加えるならば、この1ヶ月の特別トレーニングの成果も試してみたかった。
実は、宮古後、ジャパンの坂の克服方法が、CTSのコーチから送られてきた。
テンポワークアウト(TW)、ステディステイトインターバル(SS)、パワーインターバル(PI)の3つのレシピを組み合わせた2時間を越えるインドアトレーニングを週に2回、多いときで3回くらいやってきたのだ。
TWとは、ケイデンスを70rpm、HRを134~137bpmの有酸素域上限枠内で踏み込むもの。これを10~20分を2セットくらい(レストは10分以内)。シッティングでの筋力トレーニングのような位置づけだ。
SSはケイデンスを85rpmの設定で、HRはLTレベル。要するにレースでのHR設定値である(僕の場合は142前後)。ポジションはDHで、15分くらいを2,3セット(レストは10分以内)。レースでの踏み加減を体に覚えさせるのと、LT値を少しでも上に押し上げる効果がある。
PIは、3つの中で一番キツいパート。2,3分のシッティングでの全力疾走をケイデンス110回転以上で踏み倒すもの。HRは“MAX”だ。1分もすると、足が燃えてくるような感覚になる。レストを同じ時間しかとらずに3セットするため、完全に耐乳酸トレーニングとなる。これをやっておくと、坂でダメージを食らっても、まだ平地や次の坂で回せる力、そしてランの力が残るそうだ。

坂がいよいよやってきた。
フォームに気をつけてシッティングで踏み込む。ケイデンスはTWでやってきた70rpmだ。
すると、はるか前方にいたライダーたちが、坂でどんどん落ちてくるではないか!
差をつめる。追い越す。そしてさらに前を捕まえる。。。ぐんぐん抜ける。
自分の登坂力が予想以上についているのかもしれない。
いや、絶対にそうだ。とにかくレース中はポジティブな思考を優先させる。

上り下りの合間の平地ではSS練習をイメージ。
リラックスしたスムーズな回転で、尚かつパワーをペダルに送る。
前が見えたら抜き、そして前をまた追いかけるという展開になると、俄然楽しくなってきた。自転車レースをしている感じだ。雨も寒さもまったく気にならない。

集中して周回のパートに別れをつげ、残り20キロ弱の終盤に突入。補給食やパワーボトルも良いペースで完食できた。ただ、後半、心拍数の上限をかなり超えてのライディングになっていた。乳酸が蓄積されてきているのが、自分でもわかる。
でも、攻め続けた結果、自己バイクラップを更新しそうな勢いだ。
昨年の女子総合優勝の堀選手に追いつく。
さらに前には女子の招待選手もいて、それにも追い付いた。彼女たちはランに備えてか、ペダルをクルクル回し始めている。僕も見習って心拍数の戦闘モードをいったん解除。

バイクゴールに近づくと早くもランスタートしたプロ達とすれ違う。その中に、同カテゴリーの濱野選手、大橋選手の2名も確認。彼らは、あのままの勢いでプロと闘うのだろう。
自分もバイクゴールに到達した。
しかし、バイクを降りてみて、やはり踏みすぎたところ、負担をかけた膝周りがビリビリときている。更衣テントで椅子に座り、ランシューズを履くときにハムストリングスにも痛みが拡大してきた。

それでも走らねばならない。キャップを目深にかぶり、サングラス、補給食を握り締めてスタート。すると、前のほうに女子の堀選手、招待選手が競り合っている。息遣いが聞こえてくるほどだ。
誰だって辛い。しんどい。苦しいけど目標を持って走り続けている。
だから自分も設定を覆さず、心拍数153bpmの設定で走り出す。
HRと、前を走る走者だけに集中すると、痛みは意識できないくらいになった。
沿道の応援者から「40番くらいだよ!」と声を掛けられた。

「!!!! 行ける !!!!」

空港への序盤戦、宮古島ではぶっちぎられた今泉奈緒美プロ、田村嘉規プロが前方からの追い返しを経て走ってくる。。。?さすがにランで追い付けるとは思わないけど、自分は実際、とんでもないペースでバイクを走らせてきたのではないか?
けれども、まだアシは残っているのではないだろうか?

153のイーブンで走って、初めの0-5kmが21:55。
5-10kmまでが22:01。
これは昨年のつくばマラソンとほとんど同じだ。

「!!!! 走れている !!!!」

自分の足が自分のものでないみたいだ。

「俺、クスリでもやってるんだろうか?」

ニヤニヤして走っていると後ろから快調なピッチで迫ってくるCカテゴリーのランナーがいた。ペースメーカーとして申し分ない。前日にランコースをバイクで試走していたので、これからアップダウンの連続となることはわかっていた。
彼と併走すると、キツイ坂もなんとかこなし、10-15kmが23:12。
15-20kmが22:52。

20キロの通過は1時間30分ジャストだ。
HRとは別に興奮してきた。
しかし、周回の分岐点、武家屋敷通りに入るキツイ坂で彼がスーッと上っていく。
ついについて行けなくなった。
ここでアシの動きに異変を感じ始めたからだ。坂道の登りで膝を上げると痺れが瞬間的に出てくる。くだりではハムストリングスがピリッとする。特に左足だ。
宮古では終盤2,3キロで左足を攣って瞬間的に走れなくなった。そんなことにでもなったらゲームオーバーだ。無理については行かず、しばらく意識的にスローダウン。
武家屋敷通りの終わりにViking Eastのあるじ、太郎さんがいた。
「MASAさん、行けますよ! ハワイ、獲れますよ!」
辛いときにかけてくれる励ましの言葉は何よりのパワーになる。
本当にうれしい。

ここまでは自分の予想を上回る快走。しかし、これからが本当のレース。
スペシャルニーズの24.2km地点、だらだらとした上り坂を終えて昨日の試走で決めたことを思い出す。

「ここからは残りあと18km。キロ5分で走れば1時間30分。どんなに苦しくても痛くても、その時間だけ、と思って耐え抜こう」

経過時間を見た。
今の時間に1時間30分を加えると10時間2分か3分くらいだろうか?
いや、攻めればサブ10なのだから、もう少しがんばろう、と思う。
ところが、心拍数を見ると既に145くらいに落ちている。あがらない。
ペースも、やはり落ちてきている。足の痛さはもう堪らない状態になっている。
腕を意識的に降り始める。まだ前に走者はいる。一人でも多く捕まえよう、と思う。
今泉プロがいた。
「後ろに堀選手ともう一人、キロ5分ペースで着実に迫っている。がんばれ!」
と声をかける。でも、自分自身に言っているようなものだ。

20-30kmは49:48。まだキロ5分は守れている。
30-35kmは25:26。苦しくなってきた。
35kmからズドンと登りが続く。ここから7キロが勝負どころ。さらに腕を振っていく。
前の選手が見えているのにまったく追い付かない。
後ろを振り返るのが本当に怖い。怖くてたまらない。
坂の頂上でも気が抜けない。下り坂でハムが攣ったらおしまいだ。
頼むからもってほしい。

ラスト2キロで快調なピッチで迫る2名にパスされる。
ふくらはぎを見ると「C」だった。
情けないことに、もうこちらのアシは売り切れている。
そうなると、応援者の声援が気になってくる。
自分が通り過ぎたあとにすぐに声援があれば後続が迫っているというサイン。
ラスト600mのネオン看板が見える通りは直線。
僕宛の声援の後には。。。

なかった。。。!

初めて後ろを振り返る。誰もいない!
もう抜かれることがない、と思ったら、逆に力が出てきた。
ゴールの手前、応援者に手を振りながらゲートの時間を指差した。

こんなタイムが出せるって、、、38歳になって自己ベストを更新する俺って、すごくない?

ゴールの瞬間。

フィニッシュラインに設けられたゴールテープを高々と掲げていたら、ハワイがどうのこうの、ということは消し飛んだ。
自己ベストを大幅に更新した。
バイク、ランの快走劇だった。
素晴らしいレースだったじゃないか。

誰に聞いても順番はわからなかった。
マッサージを受けて一度宿舎に帰る。風呂で汗を流し、再度会場へ行くと、ゴールエリアの隅に速報が出ていた。
恐る恐る歩み寄ると、自分の名前がある。
31位だった。
そして右端に記載されているカテゴリー「D」を上から確認していくと、
1,2,3,4,5、、、6!
もう一度確認してみる。
1,2,3,4,5、、、6だ。6位じゃないか。
何度も確認する。まわりも気にせず、小学生みたいに、声を出して、指をさして確認していた。
心臓が高鳴った。
また汗が噴出した。

ウィットさんのアナウンスで、会場はすごい音量だ。
その為、会場の隅っこまで小走りで行き、携帯電話をポケットから探して家にかける。
はずんだ声を出して電話に出たのはトラちゃんだった。

「パパ、お疲れ様!レース、どうだったの?」
「お父さんね、ハワイの。。。」
声が。。。詰まってしまった。不覚にも泣けてきてしまった。
「一緒に行けるの?」「そうだよ。約束しただろ。」

チームYのみんなが次々にゴールラインに駆け込んでくる。
全員がアイアンマンになった。
初挑戦、完走のメンバーにとっては本当に思い出のレースになったと思う。

私の頭はもう、10月に切り替わった。
10月15日、自身で10回目のアイアンマンがハワイでやれる。
最高の調子を作りたい。
ハワイでサブ10を達成したい。
そして、いつまでもこの競技を続けたい。

記録
スイム3.8km  1:12:28(121位)
バイク180.2km 5:30:50(26位)
ラン 42.2km  3:20:50(41位)
総合タイム 10:04:08(31位、エイジ6位)

以上
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